2015年8月12日水曜日

目を閉じても 世界は動いているんだぜ


目の前で 家族が死んでいた

目と鼻はつぶれ 唇は縦に裂けるようにめくれていた

それ以上は 言葉にできないほど 悲しい姿だった


ボクは13歳だった

大型トラックの無謀な運転で ボクの母と弟が死んでしまった

いまから19年前のことだった



声が無くなるまで泣いて 一生分泣いて あの日の夜にボクの涙は枯れ果てた


人の死に 美しいもなにもない  

誰かに命を奪われたとて その誰かを責め立てても 

恨んでも 殺しても 失った命は還らない


だからこそ 人の命を奪うことは 許されないことであると ボクは思う





今から70年前の8月6日 広島に 爆弾が落とされた

その2日後に ソ連より宣戦布告を受ける

その次の日には 長崎に 爆弾が落とされた

それから6日後に 日本は 戦争に終わりを告げた



ボクはそこにいたわけでない その時代を生きていたわけでもない


そこには たくさんの悲しい死があり

日本の軍も たくさんの命を奪った

それが 戦争というものだった それが 争いだ



平和安全法制によって

自衛隊法 国際平和協力法 船舶検査活動法 事態対処法 米軍行動関連措置法
特定公共施設利用法 会場輸送規制法 捕虜取扱い法 が改正され


新たに 国際平和支援法 が制定されようとしている


それを言われて 内容を理解しても していなくても
その全てを 「ああ そうなんだ」と思える人は そういろんな意味で多くはないと思う 



それぞれの「平和」の概念と理解の違い 
それぞれの 倫理 道徳 哲学的な違いになってくる



「戦争の放棄」「戦力の不保持」を宣言し この戦力に あたらないとされていた自衛隊



自衛隊法の改正

「自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、
直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主 たる任務とし、
必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。」

から 『直接侵略及び間接侵略に対し』という部分が 削除されようとしている

今ある 自衛隊法にも こうある
「第七十六条第一項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は、
わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる。」

という内容もある この第七十六条第一項というのは
「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃(以下「武力攻撃」という。)
が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態に際して、
我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。
この場合においては、武力攻撃事態等における我が国の平和と
独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律 (平成十五年法律第七十九号)
第九条 の定めるところにより、国会の承認を得なければならない」

今ある自衛隊法としても 有事の場合の武器使用は 認められているのである


なにを持って「平和」なのか  

よくあるヒーローモノで 「平和のために戦う!」なんてあるけれど


戦うことが平和なのか  ということになる


ボクは 今までいつくか読んでいた 仏教の本の影響で 
「非暴力」であることが 平和であると考えている
それが今のところ 腑に落ちている 
いろんな宗教の中でも 考え方はあるけれど キリスト教でもそれは唱えられている

「ここにきて 宗教の話か!」と 思われる方をいらっしゃると思います
これもそれぞれの考えや 答えが存在します



そして この日記の 一番最初に戻ります

ボクは13歳のときに 家族の無惨な死を目の当たりにしました


目と鼻はつぶれ 唇は縦に裂けるようにめくれ それ以上は 言葉にできないほど 悲しい姿でした




それは大型トラックの無謀な運転による交通事故だった 戦争ではありませんでした

しかしそこには だれかの力によっての死が そこにありました



こんな悲しみと 誰かがすることも 誰かにさせることも 望むことでも 

そのどれも あってはならないことだと ボクは思います




悪しき者は 罰せられるべきだと思います


その反対に 罪のない者の命を奪うことほど 罪深いことは ないでしょう

法律が変わらなくても 変わったとしても
この国が戦争をしなくても するにしても
 
それに関わること この国でも 他の国で起きたことでも
戦争をすること させてしまうことに ボクは反対です


だって 悲しいじゃん

これが 勉強不足の ボクなりの考え というより 思いです



平和を唄うことの なにが罪なのでしょうか


これが 勉強不足の ボクなりの考え というより 想いです