2014年12月30日火曜日

あくびをひとつ ぬれせんぺいを2つ



まず初めに HAND SKATEBOARDに感謝

今年も 鈍行列車とHANDのデッキに乗って 旅に出る


毎年 STUDIO ORIBEのダウンジャケットに

薄めのインナーという組み合わせで 旅をしていたけど



今年は Kaptain Sunshine のハンタージャケットと
ISLAND KNIT WORKS のワッフルセーターで 旅をしようと思っている


インナーは モンベルのジオラインは鉄板 旅先で洗濯しても すぐ乾く

POLOとのChampionのTシャツも鉄板 なんだかんだいっても コットンの着心地が一番好き

シャツは Kaptain Sunshine と BUTTON ONE`S LIPのシャツを持って行く



昨年からKaptain Sunshineというブランドに とにかく惚れてしまい
そのクオリティ 細部にまでの作り込み 縫子さんの高い技術に いつも驚かされる 

BUTTON ONE`S LIPのシャツも 同じく 職人の技術の高さの見えるシャツだ
草臥れるほどに 好きになるシャツ

UNFIZZYのニットも被って行こう 被り心地が最高なんだ
手ぬぐいも 旅には欠かせない






今年も いろんなところへ 出かけ




多くの ステキな人と関わり お力をいただき 学ばせいただきました







GREEN PARK PICNICにも参加することができました CO.NNECTさんお世話になりました
Land scape Productsさん とも お仕事ができた 

とても嬉しかった



それ以外にも 自分の好きな物や事を カタチにいてきたつもりだ






ちゃんくす一座の皆さん 今年も 本当にありがとうございました



それから自分の頭の中にしかなかった イメージやデザインものを カタチにする場所

想像を創造するための 工房も つい一昨日 完成したばかりだ




バカで ノロマで 小太りで 不細工なのは 100も承知の上で

「slowly but surely」の精神で ここまでやってきた

鈍間で段取りが悪かろうと 進めるのをやめななかっただけ


前に進めるもの ボクのような人間と関わってくれる
たくさんの先輩と仲間のおかげです
















昨日 やっと 仕事を納められました
年内の zzakおよび かっくんとしての 活動も今日まで



本当にありがとうございました 来年も宜しくお願います


明日からしばらく旅に出ます 探さないで下さい

どうしても探したい方は インスタなんとかグラムで [zzak19



本年も lost my blanket2 読んでいただき ありがとうございました
よいお年を


それでは いってきます

2014年12月27日土曜日

テキーラを 歳の数だけ呑んだ夜は


君はMEDULLAを知ってるか? って知ってるか?


初めてMEDULLAを観たのは 2005年か2006年の寒いとき

ボクは大学生 六本木のクラブ

「新宿STREET LIFE」をリリースしたばかりのMSCと
いっしょのパーティで ライブしていたんだ


そのパーティが ボクにとっての
日本のアンダーグラウンドヒップホップとの初めての衝突 

初期衝動というやつだった


それから 松本に帰り 改めてMASS-HOLE氏と 出会った


南松本で 神ボンズで 夜な夜なパーティをして 
みんなで しこたまテキーラを呑んだ

RAWSUN REFUGEE CAMPは そこで生まれた
IK氏との恒例行事 B-BOY相撲も そこで生まれた


MEDULLAの1st EPのリリースパーティは 松本ソニックだった
ボクが 初めてOLIVE OILのライブを観たのも 松本ソニックだった

inner scienceも KILLER BONGも 松本ソニックに来たんだ


DEVILS PIE ×HOME PARTYだから 
MASS-HOLEだから
RAWSUN REFUGEE CAMPだから できたんだ


RAWSUN REFUGEE CAMPも 面白い仲間ばかり

ヒップホップミュージックが もはや
B-BOYだけのものじゃなくなった こんな時代だからこそ
みんなで 遊びたいんだ


ようするに 
12月29日の[DEVILS PIE ×HOME PARTY]
が 楽しみということ



遊ぼうぜ!





2014年12月23日火曜日

くたびれたレタスと コンソメスープ


出かけた先で入ったトイレの 西洋式の大便器に座ったとき

便座が冷たくて ドキッとした 

そんなつもりではなかったけど
便座にヒーターが付いていて当たり前だと思い込んでいた

何かを失ったときに それの有り難さに気がつく ボクは愚か者だった


人が亡くなったときには 有り難さ以上に 後悔というものが付き纏う


毎年 この時期 ブログでこんなことを書いている


今から18年前の こんな時期  

母親と弟が 大型トラックの無謀な運転に巻き込まれ 死んだ


ボクは 13歳だった


弟が死んでしまった日の朝 弟は珍しく
「お兄ちゃん 遊ぼうよ」 と言って来た

ボクはそれを断ってしまった 弟は そのまま帰って来なかった

母親には 本当になにも 何一つも 親孝行の一つもできなかった
プレゼントというものも 一つもあげることもできなかった
それらしい感謝の言葉も 伝えることも 一度もしたことがなかった


そんな後悔は 歳を重ねるごとに大きなっていく


今 できることとして 

今を生きて ボクのような人間と関わってくれる人たちの気持ちに 
感謝と敬意を持って 応えていかなければならないと


いつもこの時期に思うのだ

感謝と尊敬がないヤツは 一度死んだほうがいい

だからボクは 今日も死ぬんだ


そんな思いと反面に 
歳を重ねるごとに お礼を言うのがへたくそになっていく


だから今日は ボクに関わってくれている方々に 心から感謝の意を


それから 便座ヒーターを開発してくだすった方々も 感謝の意を



ありがとうございます 


それではおやすみなさい



後悔のない人生を

2014年12月14日日曜日

リンゴの樹が おしえてくれたこと


今年は 3年計画の 2年目

昨年度から 設計 デザインなどから 協力させてもらって

造っている 畑がある


リンゴの畑だ


少し大袈裟な 言い方だけど 30年間 生きて来て 自分が
地球の一部をデザインすることなんて 思ってもいなかった



1970年に 岡本太郎先生は 大阪の吹田市
大阪万博の 一つの展示のために 70メートルもある 巨大な作品

「太陽の塔」を造り その場所に残され 地球の一部となり 

皆に愛され 今でも 堂々と立っている



ボクらが造っているのは 芸術 アートではなく 農園 

少し大袈裟な 言い方かもしれないけど

ボクらにとって これが  岡本太郎先生のそれに 値すると思っている

少し大袈裟な 言い方かもしれないけど

ボクらにとって それが 太陽の塔なんだ




果樹は 病気などの 切らざるを得ない場合や なんからの理由がない限り
樹の寿命がやってくるまで その樹 その畑を 数十年を 使う


もちろん 設備的に必要なモノもあるが
その先に おいしいリンゴを作るための 手間も 愛情も必要だ


畑を造るということ と

わずかながら 自分がやってきた 家具や 絵をデザインし
それが 実物 現物になることとの

大きく違う点は


そのデザインしたものの上にあるのは 

植物と果実で それをまた人間が育てるということ


想像から創造した物以上の それが そこからリンゴが生まれてきて

それが 人間 動物の 体に吸収されていくという連鎖が起きるということ


それに ロマンをつよく感じていた

ボクも わずかながら リンゴの樹を関わり リンゴの樹から多くを学んだ


今年で 3年計画の 2年目

寿命を迎えてしまった樹を切り 新しく 畑から作り直している



北アルプスのフモトの田舎町で


空から 土から エネルギーを吸い  樹を人が それを育てる



最も 地球らしいような気がする



少し大袈裟な言い方だけど ここがボクらの 太陽の塔なんだ


新しく生まれて来た命のために その次の世代のために

2014年12月7日日曜日

アツアツに煮込んだ レンコンに 指を突っ込むなよ 絶対に


「何買ったの?」

「ピザまん」

「え 食べたことない」

「食べる?」


歳は一つ下 ちょっとかわいいなと思っていたあの子が 
ボクの持っていた 買ったばかりのピザまんにかじりついた

かじりついたその様が またちょっとかわいいなと思ったけど


生々しく 歯型がついた そのピザまんを 

ボクは それからどこからかじりつけばいいのか わからなくなって


そのピザまんを 遠くに投げた


それがまた 校長先生に当たったとか 怖いおじさんに当たったとか

そんなハプニングでも起きれば まだ救われたと思うが


それがまた生々しく 情けない弧を描き 情けない音を立てて

学校の駐車場に 落ちただけだった



言うまでもないが その子は その日から ボクに話しかけてこなくなった


高校生のときの 思春期ならではの 

ちょうどこんな 冬が始まった頃の 甘酸っぱい 思い出



先日 母校の横を通ったとき  まだそのピザまんが残っているのかな

と 車の窓から 探してみたけど 見つけられなかった



駐車場から ピザまんも  あの子の記憶から ボクのことも


遠い遠い はるか昔に 消えていってしまった



あれから 何度の目の 冬がやって来たのかな なんて思い返してみる




ボクは 決して あの日のことを 後悔しているわけではない



なぜならボクは あの日に

自分の心の中にある 後悔や言い訳 甘えること

悪口 噂話 嫉妬や妬み 我欲に走ること

怒ること 誰かや何かに依存すること 大きな声を出すこと 誰かを疑うこと


それらすべてを 捨てたんだ


孤独になることなんて なにも恐れていないし
今 ここにある 孤独を 楽しんでいるし 
むしろ 孤独になることを選んで ここまで来た


大恋愛や 大失恋こそ すっぱりと切り離せて 小さな恋こそ こびりつく

男は そんな強がりをいいながら  そんなことを忘れたつもりになって

今日もピザまんを 買う

誰かが かじりついてくるこを期待しながら



ああ また冬が やってきた



2014年12月1日月曜日

何杯のラーメンを食べるべきなのか



あの方は いつも豪快に笑う人でした



初めてあの方と お会いしたのは 前の前の仕事をしているときのことでした



先輩に「配送いってきて」 
と渡された住所と地図に 示された所へ向かい

そこに 到着するであろう時刻の 約10分前に

「もうすぐ到着します」と お電話をすると

「そこではない」と言われ 

改めて住所を聞き またそこから 車で1時間ほどの場所へ

ボクは 慌ててむかった


ボクは そのお客様と その日まで 全くやりとりをしていなかったので

先輩が間違ったのか お客様と行き違いがあったのかは 
誰が悪いとか どうしたもんだか わからなかったけど


お客様を お待たせしていることが  ただそこにある事実


到着するとすぐに ボクは誠意を持って 謝罪をした




すると あの方は 「場所間違っちまったか! ガハハハ!」 


と 豪快に笑って 気持ちよく許して下さった


それから「これでラーメンでも食って帰れ!」と 5千円札を差し出した


ボクは 「いただけません」と 両手を左右に振ると

その手の指と指の間に サクっと お札を差し込んで

ボクは受け取らざるを得ない状態になり

また ボクは深々と頭を下げて お礼を言って 
約束通り 帰り道に ラーメンを食べて 会社へもどった



それから 数ヶ月後 あの方はまた お店に現れた


あれもこれもと 豪快にたくさんの商品を選ばれ

「急いでいるから すぐに見積が欲しい」と頼まれたので


ボクは 大至急 その場で見積書を作り お渡した


そしてすぐに お客様は帰って行った


急にイヤな予感がして 見積書を見返すと 


やっぱりボクは やってしまっていた

ある一つの高額商品を 0を一つ付け忘れて計算してしまったのだ


「またやってしまった」と「次は絶対に怒られる」と 泣きそうだったけど


それよりなにより早く連絡だと ボクは 恐る恐る電話をした


するとお客様は
「0が一つたりねぇってか! ガハハハハ!」 


と また豪快に笑って許してくれた


それから後日連絡をいただき

そのとき見積した商品はもちろん

さらに追加の商品もいっしょに 気持ちよくお買い上げしてくださった


本当ならば 販売する側が お客様を感動させなければ ならないのに
ボクは そのお客様の心意気に とても感動し 大きな学びを得た




その 菅原様というお客様から ボクは

「何事も何時も 大きな声で 笑って許す」 ということを学んだ



その方が 出演されていた 映画やドラマを 
たくさん観ていたわけではなかったし

ただ 大物俳優と 一般男性(会社員)という間柄であって 

ほんの 数回のやりとりをした だけだったけれども




菅原文太さん  という一人の人間から 


とても大きな影響を受けました


そんな ボクの小さくて とても大きな 思い出話




ご冥福をお祈ります


合掌 礼拝


2014年11月28日金曜日

豆腐と大豆食品のフェスにいってきたんだ 君も連れて行きたかったんだ


ボクは 大声を出した


「好きなにおいは おならー!」と

下校中 そういって 爆笑をとっていた小学生にむかって


「いつまでも それで爆笑とれると思うなよ」と ボクは指導をした



大人気ないことをしたとは そこまで思っていないが
もしかしたら 少しだけ「嫉妬」の気持ちがどこかに 潜んでいたかもしれない


ただそれより 悔しかったのは


「うるせー ふとっちょ」 と言い返されたことだ


子供の発想は 自由だ とか 素晴らしい というけれど
 
それのほとんどが ただのルールやマナー制限 を知らないだけで
良い意味でも 悪い意味でも やりたい放題な状況から 生まれていることである


歳を重ね たくさんのことを観て 感じて 吸収した上での 
自由な発想に勝るものないと ボクは そう思うのです


そう思いながら うるさいふとっちょは その場で 涙したのです
そう 喉の奥から 飛びそうな言葉を また飲み込んで



悔しさや怒りという 感情を捨て  如何に どんなときでも
発言や発想 行動を 善や良に受け そして発信できるかが

己を皆も 成長させ より良い世の中にさせる  ボクは思うのです


いつも 心に ブッダマインド ボクは まだまだ修行が 足りません




戦争の放棄をしたはずの国が 法律を変えようをしている

戦争の放棄をしたはずの国が 政治を放棄し 選挙をいうなの戦争を起こした


今日も その国に圧迫され 苦しんでいる人がいる 死んでゆく人がいる
そう これからを造っていく 若い命が 亡くなってゆく


ボクは知りたいのは 消費税がいつ何パーセントになるかという話ではなくて


「好きなにおいは おならー」と 
いつでも 子供たちが 笑っていられる 世の中が いつまでつづくのかという 話である


ボクはただ こどもたちに うるさいふとっちょ役として 警告することしか できない



「自由」をはき違えたまま大人になり ただ やりたい放題をするようなことは

誰一人も 幸せにできないし 喜ばないと ボクは思うのです



そう思うと また 涙が込み上げてくるのです

2014年11月18日火曜日

梅干しとウナギとスイカを チューイングガムにして



「茹でるのは得意だけど 剥くのは苦手なの」


そういって 彼女は ゆでたまごを殻ごと食べていた


恋とは 盲目なもので ボクは「へぇー」とっていって
その横で 殻を剥きながら ゆでたまごを食べた


いつもオシャレで 常に新しいことを知っている彼女だった

コントレックスも いつも持ち歩いていたけど
一口二口飲んで あとは帰ってから捨てていた

買うのは得意でも 飲むのは苦手だったそうだ


深夜の牛丼ショップで 女性が
「たまごは割ってから 持って来て」

と注文しているのを見てそんなことを思い出していた

しかし その彼女は あの彼女ではなかった



ふとした 瞬間に 蘇る 懐かしい記憶や 匂い 誰かの顔 その頃の自分の事




早朝 まだ寝ぼけたまま 深い深い霧の中 車の運転をしていた

あるところを過ぎると 一気に霧が晴れ そこは畑 畑 畑


収穫を終えて 土がむき出しになった畑がつづく 農道だった


「ハタケ ハタケ ハタケぇぇー!! 
……最近元気ないから こっちビンビンにしよっ」


友人の いつかの寝言を 思い出して ボクは ニヤリと笑った

もう 12年も前のことだった 
あのときは可笑しくて そのまた隣で寝ていたユージくんと朝まで笑った



あの頃は毎日 本当にくだらないことしかなく

悩みと言えば 恋愛のことぐらいしかなかった


気がつけば 早朝から 
なにかに追われるように 必死に車を走らせて 
追いつけない何かを 必死に追い続けるようになっていた


友人のくだらない寝言を思い出して 

ふと 自分の心のゆとりを取り戻した



この10年なにをしてきたのだろう  昨日は何をしていたのだろう

なにが変わったのだろう なにが成長できただろう 何キロ太っただろう


自分で自分に問いかける 自分が自分に問いかける


得意なものは 何年経っても何一つない 

結局ボクなんて そんなもんだ





「本当は たまごの殻を剥いてほしかったの」


あのときの別れの言葉を思い出していた


いくつになっても 恋愛経験が多くても少なくても
女心っていうのは わからない

相変わらず悩みは 恋愛のことくらいしかない
というより 悩みはない

結局ボクなんて そんなもんだ



ただ 今は 

今とその先10メートルくらいの 霧の向こうに向って

必死そうな顔をして なんとなく 生きているだけだ

ただ 前に進むことを やめないだけ

時々 後ろを 振り返りながら




そして 今日も眠る

2014年11月14日金曜日

正義の味方は あてにならない


「ボクのお父さんは、トランプマンなんだ!」 そう友達に話していた


昔ながらのカミナリ親父を 遥かに通り過ぎ 

物理的な暴力や ただひたすらに人格を否定する発言 

生活や行動の制限があまりに極端で

それをいわゆる 虐待であったことに気がついたのは 

その家を飛び出してからだった



あの頃は 自分にとってそれが正しいか 正しくないか という判断より

ただひたすら それに従うこと 自分を守ることで 精一杯だった


そんな生き方を幼い頃から 疑問や違和を ずっとずっと感じていたけれど


それを学校の先生や友達に 気づかれることが怖くて

ずっとふざけた人を演じて 過ごしてきた



人間の心理とは 悲しくも情けないもので

その状況下で それが本当に正しいのか 正しくないかというよりも

その場所で一番 声が大きかった人が 正しさを持っているような気にがして

それに従ってしまう  

自分に正しさを持ちすぎることも怖いこと だが

大きな声に惑わされて 自分を見失うことが 一番怖いことである


大きい声を出す人には 惑わされず 己自身も 大きな声出すのをやめよう


そう思ったのは あの家を飛び出してから 数年後のことだった






ふふふ ふーふっふーはっふーん  

ふぉーん♩ 

ふふふ はーふっはっふーん  

ふぉーん♩



「ディレンマさえ 聴いてりゃ 女なんて イチコロだから!」


バイト先の ヒデオ先輩は ネリーのアルバムをかけて


ボクを 車に無理矢理に乗せ 有名ナンパスポットを ただ徐行で走行し


「マビぃ女が いねぇじゃねぇか」と キレて帰るのは バイトのあとの お約束だった


ボクも 友達がいなかったので なんとく いつも付き合っていた



バイト中に ボクが店長に怒られるときも 店長に 噛みつき 

「てめぇが えらそうに言えることか!」 と ボクを守ってくれた 

最初は それが頼もしくも嬉しかった

だんだんそれがエスカレートして ボクの中の違和感も次第に大きくなっていったが


ヒデオ先輩とボクは だんだんバイト先で 孤立していった


忘年会でさえも ボクらが 呼ばれなかったのも 言うまでもない


新年会にも呼ばれかったことを知ったその日から ヒデオ先輩は バイトに来なくなり


ボクも バイトを辞めざるを得ない空気で いっぱいになった



「急に実家に帰らなくてはいけなくなって」 精一杯のウソで 店長に辞めることを伝えると


店長は 震えながら ボクに尋ねた


「正義とは なにかね?」


ボクはなにも答えられなかったし 店長のこの問いかけが 何年もこびり付いて 離れなかった



ボク自身も正義という言葉を意識して 生きてこなかったし

それが何かと問われると 未だに答えが出ない


法律ですら 正義とは 限らない



結局どんな秘密を守りたかったか わからないまま秘密になった 秘密保護法


集団的自衛権の決定後 秋頃から 改正していくと言われていた 自衛隊法

それが あやふやのまま 迫られる 内閣の解散


本当に 消費税増税だけが 目的なのか


2%の増税で 一番笑った人が 正義の味方なのか

それをまた笑っているヤツが いるはずだ


って なんでこんな話になったんだ?